
私は、今回の東北地方太平洋沖地震の被災地・仙台に住んでいます。
避難所暮らしも、ライフラインが早めに復旧(大部分の地域はまだです)したおかげで、2日ほどで帰宅出来ました。
一週間もかかりましたが、親類縁者の無事も確認出来ました。
我が家の被害は、風呂が壊れてしまって今日現在も入浴が出来ていないこと、食料調達に不便さを感じていることくらいです。
津波や原発で被害を受けた方たち、避難をされている方たちに比べたら、申し訳ないほどの生活に戻っています。
今は余震におびえながらも、後片付けも一段落し、ぼんやりとしてテレビを観ている状況が続いています。
テレビの向こうには、生死の境に立ち、大切な家族や家を失い、これから大きな不安を抱えながらゼロから始めなければならない大勢の人々がいます。
被災者を支援する人たちの中には、自身も家族や家を失くした方もいます。
一人一人が、涙で、時には笑顔で語る言葉が重くて、受け止めるのが辛いです。
観ていて、聴いていて、こちらの心が折れそうになります。
それでも目を逸らすわけにはいかないと思っています。
そのひとつひとつの重い言葉を書き留めておこうとすることの軽々しさ・・・
何より、書き留めるだけのエネルギーが今の自分にはありません。
気丈に笑顔を見せて語る人たちに比べて、まだまだ立ち直れていない自分を感じています。
いつになるかはわかりませんが・・・
これからのひとつひとつの言葉拾いを大事にしたい、そう思っています。