無財の七施(しちせ) ― 財産が無くても行える七つの施し
1.眼施(げんせ) ― やさしい眼差しで人に接する。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) ― 笑顔で人に接する。
3.言辞施(ごんじせ) ― やさしい言葉で接する。
4.身施(しんせ) ― 自分の身体でできることを奉仕する。
5.心施(しんせ) ― 思いやりの心を持つ。
6.床座施(しょうざせ) ― 席や場所を譲る。
7.房舎施(ぼうじゃせ) ― 自分の家を提供する。
「雑宝蔵経」より
広報誌“みやぎ県政だより”には、村井嘉浩・宮城県知事のコラムが掲載されています。
7月号で、知事が紹介しているのが上の“無財の七施”でした。
今回の大震災で、被災された人々が大切な家族や財産を失ったにもかかわらず、自然体でこの教えを無意識に実践されていることに感銘を受けた、と書いています。
村井知事と言えば、松本復興大臣(前)の件で、より注目される存在になってしまいましたね。
あの現場の映像は、観ていて、不愉快を通り越して怖さを感じたものです。
ネット上では、圧倒的に復興大臣への批判が多かったのですが、一部には知事への批判も見受けられました。
大臣を待たせた(知事は大臣が入ったのを確認してと言っていましたが)件ですね。
中でも、一人の方の意見が印象的でした。
大臣の態度やもの言いは決して許されることではないけれど、その表面的なこととは別に彼が語ったことの内容に対しての議論があっても良いのではないか、ということ・・・。
国と地方の関係、支援のあり方など、深く話し合う必要があるのではないか、という意見で納得させられたのですが・・・
ただ、待たせた件も含めて、ビジネスの場を引き合いに出したのにはちょっと違和感がありました。
知事の、大臣の後ろにも、支援を待っている人たち、一日でも早い具体的な復興の道筋を知りたい人たちがいるわけですから・・・。
それにしても、中国発のネットニュースに、“一流の国民、二流の官僚、三流の政治家”とあった日本評を思い出しては複雑な気持ちになっています。
もうひとつ、震災と村井知事関連の話を・・・
今、民間企業が参入する水産業復興特区の件で、知事と漁業関係者が対立していますね。
詳しいことがわからないので、あまり言えないのですが・・・
ニュースを観るたびに思うことがあります。
私たちの年代だと、もう一度以前のように、せめてそれに近い状況に、と考えてしまうことがどうしても多いでしょうね。
これが、若い人たち、もっと小さい子供たちにとっては、ゼロからなのだから、まったく違ってもいい、自由な考え方で、より暮らしやすい幸せに向かいたい、と望んでいるように思えてしまいます。
具体的に何もしていない、何も出来ない私などが言うことでもないでしょうが・・・。
せめて、初めて知った“無財の七施”を、少しでも出来たら、と思いますね。
